「うわ、何やってんだよ」
「だってよぉ、これすげぇよ!」
「バカなことやってないで、さっさとやりなさい!」
騒がしい。
温かな日差しと共に、楽しげな声が降ってくる。
「あれ? ゾロは?」
「寝てるんでしょ、どうせ」
まだ寝てはいない。
ウトウトと船を漕ぎながら、ゾロは思う。
「放っておきましょ」
「え、でも」
「大丈夫」
そういえば、あいつら一体、何をしているんだ…………?
意識の片隅で起こった考えも、ふわりと柔らかな波にさらわれて、消えた。
頬に落ちる、冷たい滴。
「目、覚めたか?」
手の甲で拭うと、甘い匂いが広がった。
「…ワインか」
「贅沢だろ?」
にやりと笑った犯人はグラスを掲げて、くわえたタバコの煙を吐き出す。
「飯食っちまえ。片付かねぇんだよ」
頬を朱に染めたサンジはタバコを手に持ち替え、残りのワインを飲み干した。
いつもより、酔っているようだ
手の甲に残った滴を舐めると、鮮やかな味が広がった。
いつもより良いワインだ。それで飲み過ぎたのだろうか。
「タバコと一緒に飲むなんて勿体ねぇな」
「何だ、欲しいのか?」
「ああ」
「ざんねん、もうこれで終わりっ」
嬉しそうな声。呂律も、少し怪しい。
「てめぇ、酔ってるな?」
「酔ってねぇよ」
「………そうか」
ゾロは立ち上がって伸びをした。
既に陽は落ち、満天の星空が広がっている。
風のない、穏やかな夜だ。
キッチンから灯りが漏れていたが、人の気配はない。
「みんな食い終わったのか」
「ああ」
首を回しながらキッチンへ入る。
テーブルの上にはひとり分の食器。流しには食器で山が築かれていた。
「食い終わったら、流しに置いておけ」
「ああ」
サンジは手際よく湯気があがる鍋からスープを移し、メインディッシュを盛りつける。
ゾロはイスに腰掛け室内を見渡した。
何処か、いつもと違う気がした。
「どうかしたか」
全ての盛りつけを終えたサンジはタバコをくわえ、マッチを擦った。
「………?」
マッチの香り。
さっきまで、似た臭いが微かに残っていた。それは?
ゾロは記憶を手繰る。
…火薬の臭い?
キッチンや甲板で火薬の匂いがするのは、珍しいことではなかった。
ウソップが実験と称して用いることが多いからだ。
だから、それだけで気になることはないはずだ。
では、何故?
床に落とした視線の先に、数枚の、小さな色紙を見つけたゾロは、その答えに行き着いた。
「……クラッカーか」
これはきっと、紙吹雪の破片。
ウソップが使うものとは別種の火薬が使われていたのだろう。だから違和感を覚えたのだ。
「…は?」
美味そうに紫煙を吸い込んでいたサンジが、怪訝な顔をしてゾロを見た。
「クラッカーが、何だ?」
「………」
ひょっとして、自分が眠っている間に。
「今日は三月二日だったのか」
そのつぶやきに、サンジは瞠目した。
「覚えてたのか」
「……まぁな」
ゾロは、視線を床に落とす。
そろそろだとは思っていたのだが、日付を忘れていたのでは元も子もない。
「……悪かった」
四ヶ月ほど前。
ゾロは自分の誕生日を祝ってくれた仲間に、それ以上のものを返そうと思っていたのだ。
それなのに、この体たらく。
「…気持ち悪ぃな」
ぼそり、とサンジはつぶやいた。口元には、笑みを浮かべて。
サンジとしては、ゾロが日付を覚えていて、その上祝いをするつもりだったということが分かっただけで、充分だった。
ゾロは約束を違える人間ではないことぐらい承知していたが、日付を覚えることなど無理だろうと思っていたから。
ゆるむ口元を必死でこらえ、紫煙をゆっくりと吐き出して、言った。
「でもま、どうしてもって言うんなら、それ全部洗ってくれよ」
「ああ」
ゾロは、納得した顔をして頷いた。
正確には、納得したふりをした。
この話はこれで終わり。そういうことだ。引きずっても仕方がない。
意識を切り替え、フォークを手に取る。
「じゃ、いただきます」
「はいどうぞ。じゃあ頼んだぞ」
キレイに吸いきった煙草を灰皿でもみ消して、サンジは戸口に立った。
「寝るのか?」
「ばーか、見張りだよ。終わったら呼べよ?」
「あ?」
ゾロは耳を疑った。
「誕生日だっつーのに、見張り?」
「だって順番だもんよ」
「だからって」
どうして誰も代わらない?
ゾロは目の前の皿をかき集めて立ち上がった。
「おれが食いながら見張る。お前は寝ろ」
「は?」
「代わってやるっつってんだ」
一方的な申し出に、サンジは眉間に皺を寄せた。
「勝手に決めんな」
「いいから代われ」
「ふざけんな」
「んだと」
一言毎に互いの距離が縮まって、ついに鼻先一寸。
至近距離での睨み合い。先に折れたのは、ゾロだった。
「……」
無言で皿をテーブルに戻し、ポケットに手を入れた。
今日の日付を忘れないために、入れておいた物。
それに触れ、その時の会話を思い出し、ゾロは口を開いた。
「おいコック」
「なんだ」
「お前、約束は守るよな」
唐突な問いに、サンジは怯んだ。
「何だ突然」
「守るよな?」
「そりゃ、な」
ゾロは満足げに頷くと、ポケットから取り出した物を放り投げた。
「何だ、こりゃ」
反射的に、サンジはそれを受けとめた。
白い布に包まれた、何か。
見覚えがあった。
確か四ヶ月ほど前に。
サンジの記憶が甦る。
「……あ」
ゾロの誕生日に、ルフィとウソップがプレゼントしたもの。
それは偶然着いた島で拾った銀杏。実をほぐし、乾かしただけの種。
「好きなときに美味しく調理してくれるって言ったよな?」
「………」
「言ったよな」
「……ああ、言ったな」
ゾロは、にやりと笑った。まるで悪党のように。
「おれは今、それを外で食いてぇ」
「…きったねぇ」
「じゃ、頼んだぜ」
テーブルから皿を取り、今度はゾロが戸口に立つ。
「あ、コック」
「なんだ」
扉を開けて、顔だけ振り向きゾロは言った。
「包丁なんぞも一緒に洗ってやるから、流しに放り込んどけよ」
「うるっせぇ、とっとと行け!」
じゃあな、と笑い混じりの声が遠ざかる。
「…っとに、あんのクソ剣士……!」
大体、何だってポケットなんかにこんなものを。
白い包みを取り上げサンジはぼやく。
「腐っちゃいねぇだろうなぁ…っとに」
一人ごちるサンジの耳に、盛大なくしゃみが届いた。
三月とは言え、外は寒いらしい。
「あのワイン、もう一本あったかな…?」
ついでにあれも出してやろう。そしてふたりで見張りをするのも悪くない。
「何だかんだ言って、最高の誕生日じゃねぇか…?」
くすくすと笑いを漏らして、サンジは腕を振るう。
出来るだけ早く、最高に美味いものを、外で凍える剣士のために。
-end.