「じゃあどうする」
買い出しに向かう途中の小さな港から聞こえてきた声。
「どうもこうもないよ。捨てた方がマシってもんさ」
中型漁船を前に、夫婦らしい中年の男女が言い合いをしている。
興味を覚えてサンジは足を止めた。
「捨てるしかない、か…」
陽に焼けた顔に似合わぬ暗い表情で、男はため息をついた。
「だってイヤってほど捕れてるからね。全部持って行ったって、買いたたかれるよ」
恰幅の良い女もため息をついた。
捕れすぎ?
万年食糧不足な船のコックとしては聞き逃せない単語だ。
サンジは堤防の上から身を乗り出して尋ねた。
「何が捕れすぎたんだい?」
「なんだいアンタ」
あからさまな警戒に、サンジは人好きのする笑顔を浮かべて言う。
「食料の仕入に行くところで耳寄りそうな話が聞こえてきたからさ」
「買いたたこうってのか」
「捨てるよりゃマシじゃないかな?」
夫婦は顔を見合わせた。
「そりゃそうだけど…」
「言いふらしたりなんかしないし、うちの船はあっちの岩場。運ぶところもまず誰にも見付からない。
それでもダメかい?」
先手を打って、サンジは言う。
組合を通さずに漁師が商売をするのは、どこの村でもあまり好ましいことではないはずだからだ。
「…うーん、ならいいか」
「捨てるよりゃマシだろ」
夫婦はそう結論を出し、サンジに向き直った。
「じゃ、さっさと話つけちゃおう。降りてきな」
「そう来なくちゃな! で、何がどれくらいある?」
スキップせんばかりの勢いで、サンジは港に降り立った。
「ほとんどイワシさ。あとエビも少し網にかかったから、欲しけりゃ分けてあげられる」
「へぇ〜。見ても?」
「もちろん」
女が捨てようと言っただけあって、イワシは驚くほどあった。
質も脂が程良く乗っていて悪くない。
「で、どれだけ持っていく?」
「…そうだな」
本音は全部引き取ってもいいくらいだったが、様子見のため言葉を濁す。
「今、相場はどれくらい?」
男が口にした値段は、びっくりするほど安かった。
まだ市場に言っていないサンジは多少上乗せされた値段を言われても分からないのだが、それは上乗せしていたとしても安かった。
「じゃあエビは?」
「…そうだな…」
こちらは思ったより少しだけ高い。
まあ不法めいた取引に応じてくれたのだから、多少多めに払ってもいいだろう。イワシがこれだけ安ければ、それでもお釣りが来る。
サンジはそう判断した。勿論、言い値よりもかなり値切ることは忘れなかったが。
「で、兄さんこれ、どうやって運ぶつもりだい?」
「…あ」
調子に乗って買ったはいいが、とてもひとりで持ちきれる量ではなかった。
「船で運んでやりたいけど、これから修理を頼んでるんだ」
帰航の途中でセイルを痛めてしまったのだと、男は笑いながら言った。
「そりゃあ大変だ。災難だったな」
「帰りで良かったよ。
それに、こいつのせいで他の船より帰りが遅れたんだが、おかげで兄さんと取引が出来た。災難ばかりじゃないさ」
男は大口を開けて笑った。
「そうなのか。じゃ、おれにとってはラッキーだったな」
そう言ってサンジも笑みを浮かべた。
「で、どうするんだい? アタシが手伝おうか?」
「いや、そりゃ悪い。レディに荷物を持たせるのは主義じゃないんだ」
それはサンジの本音だったが、女はそう受け取らなかったらしい。
「レディ! へぇ、お世辞でも嬉しいねぇ」
「お世辞なんかじゃありませんよ、マダム」
「やだよ、マダムだなんて!」
さらに芝居がかったセリフを口にしようとしたサンジの動きが止まった。
視界の隅に、見覚えのある色が映った気がした。
それを確かめようと、陸地に視線を動かす。
果たしてそれは、気のせいではなかった。
「おい、迷子か?」
苦虫を噛み潰したような顔をした、緑の髪の剣士が振り返った。
「………散歩だ散歩」
「なんだっていいさ。丁度いいから付き合え」
「なんでおれが」
「いいじゃねぇか」
サンジはひらりと堤防の上へ、飛んだ。
丁度ゾロの前。堤防の脇に立つゾロを見下ろす位置だ。
「……もの頼むヤツの態度かそれが」
「細けぇこと気にすんなって」
くわえた煙草を手に持ち替え、サンジはその場にしゃがみ込む。
ふたりの視線が、同じ高さになる。
「これ、やっから付き合え」
サンジの手が、するりゾロの口元に伸びる。
煙草を持った手。
ゾロの唇を割って、さっきまで自分がくわえていたものを、挟む込む。
「………てめ…」
サンジはゾロの顔を覗き込んでにやりと笑った。
「吸い差しなんか寄越すな」
サンジの指が離れると同時に、ゾロの口元で煙草の火が灯る。
「美味い?」
「まじぃ」
紫煙と共に、ゾロは煙草を吐き捨てた。
「勿体ねぇなぁ」
「そう思うなら寄越すな」
相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、それは煙草の味のせいだろう。
サンジは勝手にそう思うことにして、堤防から降りた。
落ちた煙草を拾い上げ、携帯灰皿に捨てる。
「自分が欲しいものをお礼にするって、世界の常識を実践」
「相手の好み考えろ」
「煙草嫌いか?」
ゾロは一瞬の間の後、答えた。
「好きじゃねぇな」
「吸ったくせに」
「くわえさせられりゃ、味見くらいするだろ」
「そうかぁ?」
こいつとは話にならない、とばかりにゾロは溜息をついた。
「…なんだっていいだろ。で、お前何かしてたんじゃねぇのか」
ああ、とサンジはつぶやいてから言った。
「荷物運び手伝え」
「おれに命令すんな」
ゾロの返事は味も素っ気もなかった。
サンジは口元に手を当てて、ちょっと考えるフリをした。
「じゃ、終わったら買い出しの酒、選ばせてやるから」
「………何運ぶんだ」
「イワシ。酒のつまみに最高」
にやりと笑うサンジの顔を見て、ゾロはますます苦虫を噛み潰したような顔をした。
盛大な舌打ちを残して港へ降りるゾロの背中を眺め、サンジは新しい煙草に火をつけた。
-end.