あ。
それに気付いたサンジは歩をゆるめた。
顔は動かさず、目だけを右方向へ。
緑の髪。不機嫌そうな顔。腰には三本の刀。
ゾロ。
その横に、立つのは見知らぬ女。
客引きだろう。
腰まで伸ばしたくすんだ金の髪に、真っ赤な唇。
刻んだ笑みは、夜の花に相応しく艶やかだ。
サンジは目立たぬようにするりと近くの壁際に身を寄せた。
煙草に火を付けて、一息。
反対の壁際を視界に入れる。
女は上目遣いで、二言三言。
対してゾロは、一言。
女の唇が、くっきりと笑みを刻んだ。
そして白い手を、ゾロの、肩に。
「……!」
突如口に広がった苦味。
思わず噛み締めていた煙草を路上に吐き捨てた。
小さな火の粉が、足元に散る。
「やべ」
慌てて靴底で始末して、顔を上げた。
ふたりの姿は壁際から消えていた。
表通りをずんずん進む。
何も考えないように早足で。
新たにくわえた煙草は火を付けぬまま。
脳内の買い出しリストも吹っ飛ぶ勢いで、サンジは歩く。
「……?」
不意に違和感を感じて、足を止めた。
すぐ後ろを歩いていた男が背中にぶつかったが、気にもとめない。
そんなサンジに、男は舌打ちを残して立ち去った。
「…人が増えてる…?」
先ほどいた場所よりも確実に、人の密度が増していた。
それでも、さほど歩きにくさを感じなかったのは何故だろうか。
少し落ち着いて見回すと、疑問はあっさりと解けた。ほとんどの人が同じ方向を目指しているのだ。
「流れに逆らうのは面倒だな」
急いで行くべき場所もなかったし、この先に何があるのか、少しばかり興味もあった。
「……だよ!」
浮かれた声が、切れ切れに耳に入る。
「…急…!」
「……の祭」
祭り?
聞くともなく入ってくる言葉の断片で答えを知った途端、視界がひらけた。
広場に出たのだ。
あっという間に人波は思い思いの方向へ散った。
「こりゃあ…」
サンジは思わず立ち尽くした。
中央には大きな噴水。
周囲は楽器を持った人々と、それを囲むように、リズムに乗って踊る人。
所々に出店も見える。酒を手に、歌う者や手拍子を送る者もいる。
島中の人が集まっているのではないだろうか。
「……とりあえず、何か食うか」
サンジは屋台を物色しようと歩を進めた。
ら。
最も会いたくない男が。
こちらに気付いて。
視線が、合った。
くわえたフィルターを噛み千切った瞬間、男は片眉を上げた。
隣には金髪の美女。
サンジは踵を返して、煙草を吐き捨てた。
最悪だ。
顔は上げずに、喉の奥で呻いた。
こんなところから立ち去るべきだと思った。
しかし、次から次へとやって来る人波が、行く手を阻んだ。
ひょっとしたら、出口は別にあるのかもしれない。
そう考えて上げた顔前に、緑の髪が飛び込んだ。その下の瞳は不機嫌そうだ。
「何やってんだお前」
口から飛び出した声も、不機嫌を絵に描いたようだった。
「道にでも迷ったのか」
「お前じゃあるまいし」
サンジがせせら笑うと、ゾロは眉を吊り上げた。
「オレがいつ迷ったっつんだ」
「いつもだろ」
「ケンカ売ってんのか?」
じわりと燃える炭のように温度が上がったゾロの声を、サンジは鼻先で笑い飛ばした。
そして、胸ポケットから煙草を取り出し、封を開いて角を叩いた。
飛び出してきた数本を眺め、ゆっくり視線を上げて、
「やる気なら受けて立つぜ」
と、言った。
いつもなら、ここで胸倉をつかまれる。
そのつもりでいたサンジにゾロは、
「…てめぇが売ってきてんだろうが」
と、苛立ちと困惑を含んだ声で言った。
「……」
ダメだ。
サンジは手にした箱を握りつぶしていた。
「コック?」
「…」
返事の代わりなのだろうか、つぶれた箱が乾いた音を立てて地面に落ちた。
「……」
ゾロは、じっとサンジを見た。
祭りの音楽が、遠く響く。
「………」
ワンコーラスが終わっても、ふたりは微動だにしなかった。
ゾロは諦めたように溜息をついて、落ちた箱を拾い上げた。
「コック」
返事はない。
ゾロは頓着せずに胸ポケットへ手を伸ばした。
拾った箱を戻そうとしたその手を、サンジは鷲みにして問いかけた。
「お前、何でここにいる」
「…」
ゾロは抵抗せず、無言でサンジを見つめた。
「何しにここへ来たかって聞いてんだ」
「…酒を飲みに来た」
掴まれた手はそのままに、ゾロは続ける。
「祭りで、タダで酒が飲めるって聞いた。だから来た」
「それだけか」
「他に何がある?」
額をぶつける手前の距離で動きを止めて、瞳を覗き込んだ。
「……」
いつも通り静かな色。
サンジは思わず視線を伏せた。
「何をそんなに疑ってるんだ」
疑う?
思わず手に力が入る。
ゾロは気付かぬふりをして、続けた。
「それとも、おびえているのか」
おびえる?
「おれが?」
「他に誰がいる」
「…」
話の流れでいけばそうだが、承服しかねる言葉だ。
無言で睨むサンジの様子に、ゾロは真顔で言った。
「なんっつぅか、懐かねぇ野生の動物みてぇだな」
「……そりゃ…」
お前だろ、という言葉を飲み込んで、サンジはその場に座り込んだ。
力が抜けてしまったのだ。自然、掴んでいた手首も解放していた。
「どうした」
「……」
「大丈夫か?」
「…………」
「気分でも、悪いのか」
「…ああ、悪いね」
サンジは不敵な笑みを浮かべた。
「すごぶるわりぃ」
なんだって、こんなことになっているのか。
どうして、こんな気持ちになっているのか。
「気分わりぃ」
「………」
「すっげぇ悪い」
サンジは吐き出すようにそう言うと、くわえたままの煙草に火をつけた。
「…意味が違う」
「あ?」
「なんでもねぇ」
ゾロは手を振って、踵を返した。
離れていく背中に向かってサンジは尋ねた。
「何処行くんだ」
「気分わりぃから飲み直す」
「あ?」
「飲み直すって言ったんだ。邪魔すんな」
「あーはいはい、いってらっしゃい」
苛立ちのオーラをまとったゾロが出店へ向かう様子を見て、サンジはゆっくり紫煙を吐き出した。
この煙草は美味いな、などと思いながら。微かな笑みを浮かべて。
-end.