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02
アラバスタ宮殿の一室。
西日が差し込むその部屋で、王女は正装を解いて一息ついていた。
ついさっき、広場を埋め尽くした人々の前でのスピーチを終えたところだ。
そして今夜は、盛大な晩餐会が行われる。
壁には主役に相応しい、立派な衣装がかけられている。
「…不思議…」
戦争を止めるために走ったあの日から、ずいぶん遠くへ来てしまった。
実際は、数ヶ月しか経っていないのに。
愛するこの国での日常は、あの船での日々と違いすぎて。
後悔しているわけではない。けれど時折、思い出す。
あの船に乗っていたら。今頃、自分は何処にいただろう。
そして今日という日を、どうやって迎えただろう?
彼らと共に、何をして。
「ビビさま!」
扉の向こうから呼ぶ声。同時に響いたノックの音に、顔をあげた。
「どうしたの?」
この声は、確かキッチンで働く侍女のものだ。
「おくつろぎのところ悪いのですが、あの、キッチンまで来てはいただけないかと…」
「キッチンに?」
あそこは今夜の晩餐会の準備で戦場のようになっているはずだ。
「ええ、あの…テラコッタさんが、来ていただけるようならと…」
まだ慣れない侍女は扉の向こうでうろたえているようだ。
「分かったわ、ちょっと待って」
上に一枚羽織って扉を開けた。
「行きましょう」
にっこり笑って言うと、侍女は安堵の笑みを浮かべて頷いた。
給仕長であるテラコッタは有能で分別をわきまえた人物だ。
その彼女が呼ぶのだから、きっとわけがある。ビビはそう判断した。
「どうしたの?」
小走りに辿り着いたキッチンは案の定、戦場のようだ。
「あ、ビビさま!」
勝手口の方でテラコッタが手招きをしている。
「ちょっと…」
「なあに? どうしたの」
立ち働く侍女たちの合間を縫って、ビビは駆け寄った。
ここは食材や生活用品などを運び込むための出入り口で、箱や樽がいくつか置かれている。
「これなんですけどね」
「カルー!」
「クエ〜ッ!」
主人の呼びかけに、超カルガモのカルーは手羽をあげて答えた。
「どうしたの?」
「クエッ! クエッッ」
「さっき怪しい荷物が届いたんだけど、カルーが邪魔して開けさせてくれないんですよ」
テラコッタはため息混じりに言った。
本来なら王宮へ運ばれる荷物はすべて城門で開けられチェックされる決まりなのだが、この荷物はチェックされる前にカルーがここまで運んでしまったのだそうだ。
「まあ、カルーが危険なものを運び込むはずはないだろうけど、いきなりビビさまの部屋に持ち込んでしまうのは危ないし…」
ビビに必ず渡すから開けさせてくれと頼んでもカルーが頑として譲らないのだ、とテラコッタは言った。
「私に開けろっていうこと?」
「クエッ!」
カルーは力強く頷いて、ビビの前に荷物を出した。
それは、ありふれた木箱。
けれど、その表面に刻まれていたのは×印…
「あ…」
それは刀で傷つけた印。
「ミスターブシドー?」
「クエッ」
手にすると、微かに潮の匂いがする。
「ビビさま?」
「大丈夫、危険なものじゃないわ。道具を貸して」
にっこり笑って頼むと、心配そうな様子ではあったが素直に道具を渡してくれた。
地面に置いて、そっと箱を開ける。
「ナミさん…」
ふわりと香ったのはみかんの匂い。
きっとあの船の木のものだ。
彼女がひとつずつ、丁寧に収穫したのだろう。
潮の匂いとみかんの匂いが入り混ざる箱の中味は、ビンと木箱がひとつずつ。
「…ウソップさん?」
木箱には、みかんの彫刻。
ビンには、幾何学模様。
自己主張の強い彼を示すデザインではないけれど、確かにそれはウソップの手によるものだ。
「これは何かしら?」
ビンをとって、蓋を開ける。
微かに鼻をついたのは、みかんの匂い。
「ラベルに何か書いてある…トニーくんの字だわ」
“切り傷や肌荒れに…”
「お手製の薬ね」
ビビは思わず想像した。
あの小さな船医がこれを作って、ラベルに注意書きを書いた様子を。
ふふ、と笑みを漏らしながら、次のものを手に取った。
「これはサンジさんね」
木箱の中味は、フィルムに包まれた砂糖菓子。
「全部みかんだわ」
ひとつぶひとつぶ整っていて、宝石のようだ。
「綺麗…」
思わずため息をついた。これはまさに芸術品だ。
食べてしまうのが勿体ない。けれど、食べずにいたら、あの優しいコックさんは悲しむだろう。
「…?」
空になった木箱の底。
「ルフィさん…」
黒一色で、書かれた文字。
-ガンバレ!
「何…」
ビビの瞳から、涙があふれる。
下手くそな文字。
その横に小さく描かれた髪が長い少女の絵は、おそらく自分。
似ても似つかない、下手くそな絵。
「ルフィさん…!」
誕生日に贈られる言葉とは思えない。
けれど溢れる涙が、これこそ一番欲しかった言葉だと言っている。
自分も気付かなかったのに、どうしてこの人は。
「クエ…」
カルーが心配そうに擦り寄って来たので、慌てて顔を上げた。
「うん…」
涙をぬぐいながら、ビビは言う。
「頑張ろうね、カルー」
「クエ」
今夜は晩餐会。
各国の代表者がやって来る。
表向きは、自分の誕生日を祝うため。
その実、アラバスタという国の価値を計るため。
ここで失敗するわけにはいかないのだ。
カルーに頬ずりをしながら、ビビはささやいた。
「あなたもこの匂いを覚えていたの?」
潮の香りとみかんの匂い。
当然と言うように、カルーは頷いた。
「だから守ってくれたのね…ありがとう」
「クエッ」
この匂いに包まれていると、あの船に乗っているようだ。
ビビはカルーの羽に包まれて目を閉じる。
大丈夫。
今は一緒じゃないけれど。
「…あの、ビビさま…」
「分かってる。時間よね?」
テラコッタに呼ばれてビビは振り返った。
「大丈夫よ、ね、カルー?」
「クエッ!」
そう言ったビビの笑顔は、スコール後の青空の様だった。
-end.