はるか上空で、風が鳴った。
数瞬遅れて、木立を揺るがす突風。
嵐だ。
ゾロは舌打ちをもらした。
そういえば、出掛けにナミが言っていたような気がする。
大きな嵐が来るから、気をつけろと。
夜空を覆う雲は灰色の大海を作り、風に流され激しいうねりを見せている。
間もなく、バラバラと大粒の雨が体をたたき始めた。
頭皮をつたう雫の不快な感触に、思わず眉をひそめた。
「……」
周囲は畑、遠くには、林。まばらに生える木はどれも小さく、雨風に耐えられるかも不安な代物だ。
おまけに時は、真夜中近い。夜目が利くとはいえ、知らない土地をうろうろするのは危険だろう。
町に戻った方がマシか。
ゾロはそう判断し、踵を返した。
町だと信じている方角へ。
激しい波が、足元遥か下方の岩肌を打ちつけている。
絶壁の崖の上。
視界いっぱいに荒れた海。遠くの空は雷。
体を打ち付ける雨粒も強く大きく、弱まる気配は無い。
嵐は当分、去らないようだ。
それはいい。
いや、良くは無いのだが、問題は。
「……?」
ゾロは首をひねった。
町に向かったはずなのだが。
「…町ごと引越しか?」
そんな筈はない。
だが、生憎この場は彼一人。誰も突っ込む者はなく、したがって思考は正されない。
「船に戻った方がマシか…?」
場所の分からない場所を目指すより、分かる所を目指す。
理にかなった思考では、あった。
が。
「確か町は右側、メリー号は左側…」
口から漏れたつぶやきは、全く理にかなっていなかった。
遠くの空が白み始めた。
いつの間にか雨も弱まり、西の空は雲が消え、名残の星が微かな光を放っていた。
「……町?」
前方に建物の影を見つけ、ゾロは目を細めた。
足元は、きちんと踏み固められた道に変わっている。
雨が止むまで、待つか。
ゾロは手近な軒下に入り、座り込んだ。
どうやら台所の裏口らしい。
古びたドアの横にある窓から、温かな湯気が漏れてくる。
「………」
濡れたシャツを脱いで絞りながら、スープでも作っているのだろうな、と思った。
船の上で嗅いだことのある匂いだ。
香りと共に、記憶が蘇る。
このスープの時は、確か一緒に卵の……
「おわ、お前何でこんなとこいんの!?」
突然現れた馴染みの声に思考を中断され、ゾロは顔をしかめた。
「雨宿り」
「…雨宿りって…」
片手にフライパン、口にはくわえタバコ。
いつものスタイルで裏口から現れたサンジは、怪訝な声を出した。
ゾロは答えるそぶりも見せず、絞ったシャツを広げている。
「ああ、まあいい。とにかく入れよ」
サンジは扉を大きく開き、ゾロを招き入れた。
「とりあえず服…いや先シャワー浴びて来た方が良いな」
手のフライパンを台に戻し、サンジは流しのタオルを放り投げた。
ゾロは宙で受け取り、頭を拭い始める。
くわえタバコを灰皿へねじり込み、サンジが言う。
「何で雨宿りなんかしてたんだ? とっとと入ってくりゃあ良いものを」
「ここが泊まってた宿だなんて、分かるわけねぇだろ」
言いながらゾロは頭を拭い終え、そのまま体を拭き始める。
どうせ、迷ってたんだろう。
と、サンジは思ったが、スープの火加減に気を取られ、突っ込むタイミングを逃してしまった。
「大体、何でてめぇが宿の台所に立ってる?」
「うん? ナミさんがおれの朝食じゃないとイヤだって言うから」
「……………」
どうせ、その分宿代値切るつもりなんだろうに。
と、ゾロは思ったが面倒なので黙っていた。
「部屋への道順は、お分かりですか、クソ剣士?」
鼻歌混じりに鍋をかき混ぜ、サンジは言う。
「ああ、バッチリですよ、エロコック」
「じゃーさっさと行ってくれ」
「その前に、腹が減った」
ゾロは濡れたタオルを広げながら、言った。
嵐の中を一晩、歩き回っていたのだから空腹なのは当然だろう。
「それが物を頼む態度か」
呆れた顔をするサンジに、ゾロは何を言っているのか分からない、という顔をした。
「お前、コックじゃねぇのか」
サンジはまじまじとゾロを見た。
「…それをおれに聞くか?」
「違ったか」
「違わねぇよ、バーカ」
フィルターを噛みながらの言葉はつぶやきにしかならなかった。
「何だ?」
「なんでもねぇ。五分で用意してやるから、さっさとシャワー浴びて来い」
「………」
くるりと背を向けたサンジを、ゾロはたっぷり三秒ほど眺めてから、
「“卵パン”」
と言った。
「は?」
素っ頓狂な声をあげたサンジに構わず、ゾロは続けた。
「今日の朝飯、“卵パン”だろ」
「………あ、ああ…?」
「じゃ、それな」
ゾロは満足げな笑みを浮かべて、キッチンから姿を消した。
「………なんで分かったんだ? ………つぅか…」
立ち去る足音を聞きながら、サンジはつぶやく。
「…そりゃ“フレンチトースト”だろうが」
落ちたタバコを拾い上げて、流しにねじ込み息を吐く。
床が焦げなくて良かったと思いながら。
-end.
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